ネコのおはなしを掲載しています。
エピソード毎に読みにくい仕様ですが、これは仕様ですので…。

セーラー服で追いかけたネコ『ぜんざい』

とあるお宅の柿の木の下に捨て猫がいました。

絡み付いた毛がところどころに大きなコブをつくっており、大変みすぼらしい姿をしていました。

事情を知るお宅の話によると飼い主の方が亡くなり猫だけが放り出されてしまったそうです。
人に慣れているはずのこの猫はパニックのまま、逃げ惑えど、遠くには行けずとにかくウロウロと彷徨っているのです。

いわゆるペットショップのネコでしたから虫を食べたり、鳥をハントする事は難しいことでしょう。

柿の木のお宅では思うことがあって、キャットフードを時折撒いているようでした。

事情を知らなければ迷い猫として元の家に戻そうとしたかもしれません。けれども捨てられた事を知っているからこそ、保護できなかったんです。

このネコの飼い主が現れないと知っているのですから。

私は通りがかりに様子を伺ったり、家の人間がそのお宅を訪問する度にネコの所在を聞いていました。

白黒のネコだったので、ぜんざいと勝手に名付けて気持ちを傾けていたんです。

台風の日の訪れには気を揉みました。近隣の野良猫は自販機の下で震えていました。けれどもなにをする訳でもなく、ただの話題のひとつになってしまいました。

ある時、私の学校鞄から口の空いた鰹節が出てきました。母がよく朝ごはんのおかずに小袋の鰹節を白米に添付していましたので、その残りものです。  

この鰹節を誰にあげるつもりだったのか思い出そうともせず仕舞い込んでいて祖母にゴミは捨てる習慣をつけなさいと叱られたことが強く記憶に残っています。

私はゴミ箱の中の封を切られた鰹節をあえて口に含み、私の気持ちも知らずに…と、涙ぐみました。ぜんざいの事よりも叱られた自分を可哀想だと思っていたかもしれません。

事実として、ぜんざいになにをする訳ではなかったんですから勝手なことです。ぜんざいに鰹節をあげて喜ばせたかったというのは私の気まぐれです。

とはいえ、ぜんざいは誰かからご縁を結んで頂かないといけないネコでしたから、セーラー服の襟をなびかせていた私には遠い存在だったんです。

時折ぜんざいはどこにいってしまったんだろう、と感傷にひたっていました。

その後、ぜんざいがどうなったのかは、家の人も知りませんでした。大人が知らないと言うのですから悲しい結末だったのかもしれないと、当時のオマセな私はまた勝手に悲しんだりしていました。

はじめてのネコ『リック』


物心ついた頃と言うのか、いつの頃からか私は玄関の戸の隙間を猫が出入りしている事に気が付きました。

猫は人間の晩御飯どきに必ずちゃぶ台の下で寝そべっていて頭を畳にぐりぐりと押し付けていました。猫のひねられたお腹からはみ出るモアモアの毛を触ろうとして、手を近づけるとビュッと半身を起こして口をくちゃくちゃさせるんです。

猫のその様子に構わず触れようとすると母がビンタするような力で私の手を叩き、また口をくちゃくちゃとさせました。

痛くないのに痛いようなその叩き方が私は気に食わず、ちゃぶ台に頭から突進して出っ張ったコタツのヒーターに頭をぶつけて泣いていました。

そして泣く私に母がどうしたの?と聞くんです。
私は猫にやられたと答えるんです。

母は何馬鹿なこと言ってるの、あなたが何かしたんでしょ。と、喋らない猫を信じるのですから、子供ながらにそれが悲しかったもんです。

アダルト私はわかります。
あなたさまのおっしゃるとおりです。猫は悪くないって。自業自得というやつです。

けれどもその頃の私は猫が悪いと言いたかった。泣いている私の話をいっぱい聞いて欲しかった。ぶつけて頭が痛い私を母に慰めて欲しかった。

猫が悪いことをしたって伝えたかったんじゃないんです。ただ感情のままだったんです。

そんなんで私は寝食を共にしている猫を特別、好きとも思わず庭に出ては鍋底で蟻を潰してみたり、カナヘビをガチャガチャのカプセルに閉じ込めたりして喜んでいました。

この猫は私の中でずっとネコという名前でした。
もちろんちゃんとした名前が付けられていましたが、このネコが死んで20年経つまで、このネコの名前をよくわかっていませんでした。

遠縁のネコ『チビ』


ある山奥に遠い親戚が住んでいました。焼き物をしながら便の悪い場所で老夫婦二人で暮らしていたんです。

その旦那さんが運転する車で買い出しに出掛けた帰りのことだったそうです。

山へと進む、ぐるぐる周る道の途中に仔猫が駆けて来たんです。ただ、そんなものは拾うものでなく、放っておくものでした。

老齢の二人が山の野良猫にいちいち干渉していては、生活が立ち行きません。

けれども、その時の心中は普通ではありませんでした。

少し前に息子のひとりを喪ったばかりで、その猫との出会いが特別なものに感じられたんでしょう。

理由は知りませんが奥さんが猫嫌いというか、動物が嫌いな質の人でしたから、もとより野良猫を拾うなんて考えられない事だったのです。

そうした背景もあり、その場で仔猫を捕まえるでもなく家に一度帰ったそうですが翌日、奥さんはその仔猫が台所の勝手口の玄関で踏ん張っているのを発見することとなりました。

実のところの話を聞けば、その後すぐに旦那さんが散歩だと理由をつけて仔猫を探しに山道へと車を走らせていたそうです。

その話に私はよく捕まえたもんだと、ただただ感心しましたが、一大事だったでしょう。

旦那さんは明け方まで車にその仔猫を匿っておいて、こっそりと台所に放して勝手に入ってきたと言い張るつもりが、そんなわけがありませんと問い詰められて白状するに至ったとのことです。

奥さんは猫の糞の臭いがたまらなかったと叫びつつも砂をかける素振りに何か知性を感じたともおっしゃっていました。

猫を飼っている側からすると、よく分からない事に関心を寄せていると思いましたが、奥さんは奥さんで家に引き込まれた猫と共存しようと努力していたのかもしれません。

けれども俗に言うねこまんまだの、野菜の切れ端だのを与えていたそうで、あれはよく食べた、これは砂をかける素振りをされたのだと電話口で母と喋っていたことを私は聞いていました。

こういった話は今日の我々の感覚からすると、とんでもないことですが戦時中を生き延びてきた方々で、畜生に飯を食わすとなるとそういう感覚になるんです。キャットフードなんてものも、なかったのかもしれません。

結局、猫を飼えるような知識もなく付随して環境も整えられず夫婦共々、猫を飼えないと理解したのでしょう。仔猫は里親に出す事が決まり、母が貰い手探しに奔走しました。

そしてようやく貰い手が決まったところで、この仔猫が猫エイズを保有していることが判明したのです。

それをお相手に伝えるとあっけなく破談となってしまいました。

そこまでが私の知るところの話だったんですが、数年後に旦那さんが亡くなりました。

当時の私は多忙を理由に遠縁の親戚の葬儀に参列することもなく線香のひとつもあげに行きませんでした。

そして季節が何度か移り変わった頃に母とお宅を訪ねました。焼香をする為に仏間へ行くと猫がくつろいでいたのです。

すぐに合点がいきませんでしたが、あの時の噂の猫でした。

夫の勝手な行動で、猫嫌いの奥さんが猫と取り残されてしまったんだと一瞬、頭を過ぎりました。

けれども清潔なトイレ、キャットフードが与えられている様子と、猫用のおやつが常備されている室内を見て奥さんが猫を大事にしていることは歴然でした。

合間合間に、旦那の世話をするより楽だけれど、勝手で困るなどとおっしゃっていましたが、奥さんが猫に視線を向けると立派な座布団の上で手をグーパーさせながら猫由来の音を奏でていました。

言葉で表すことのできない奥さんと猫の関係があるのだと私は思ったんです。

その後、程なくして猫は死んでしまいました。奥さんも亡くなりました。

老夫婦が住んでいた場所には誰もいなくなり焼き窯がぼんやりとたたずむ中、転がる湯呑みなどが点々としていました。

そのうちの一つを形見分けで頂きましたが、引っ越しを繰り返すうちにそれもどこかへ行ってしまったんです。

同級生のネコ『ボンゴォレ』


私にも家に遊びに行く友人が出来ました。
きっかけは、毛だらけのトレーナーです。袖口から腹回りにかけてべっとりと猫の毛を付けて通学していました。

袖口で鼻水を拭いたり身体中に猫の毛がついててもおかまいなしでしたから、とにかく清潔感のない身なりをしていたと思います。友人という友人もいませんでした。

そんな私に猫飼ってるの?と声をかけてくれたクラスメイトがいたんです。その時私がなんと答えたかは覚えていませんが、彼女がトレーナーについた猫の毛を小さなセロテープで繰り返し取ってくれたことは忘れていません。

話してみると彼女の家にも猫がいて、大変ご近所さんで、通学路の道沿いの家の子だと知りました。

学区がありますから、そう珍しいことではないんですがその時の私は運命のようなものを感じて舞い上がっていたと思います。

ほどなくして私は彼女の家に遊びに行くようになりました。家に上がると彼女はボンゴォレ、ボンゴォレ、と不思議な言葉を繰り返しました。

それってなに?と聞くと猫の名前だと言うんです。私も一緒にボンゴォレと呼びました。

ただその名前を一緒に呼んでいるだけで私たちはどうしようもなく面白おかしく騒ぎ立てていたと思います。

おそらく呼ばれて出てきたわけでもなくボンゴォレは彼女が捕まえました。

一見すると真っ白ですが、背中に一つブチがついていました。掴むと指が食い込んでいくほど毛の密度の高い立派な猫でした。あまり懐いている様子はなく、すぐに逃げ出し、その度に友人が追い回して捕獲しては触ってみるということを繰り返していたんです。

今思うと、猫が懐いてない理由はそういうところにあったんでしょうね。我々はこの猫、ボンゴォレに嫌われていたと思います。

あとは何をする訳でもなく、いつの間にか時間が過ぎ去っているのがこの年頃なんでしょう。

そして帰り際、玄関先で彼女が私にクリーナーをかけてくれました。私はこのコロコロするものは床にかけるだけでなく、自分にかけてもいいのだなと学んだわけです。

とにかくその年は学校の時間も放課後もべったりと、合言葉は『ボンゴォレ』で彼女と遊び続けました。

そしてクラス替えの季節がきました。彼女とは別々のクラスになりました。ただそれだけの理由でした。

どこかで仲違いしたわけでもなく、クラスが別になってから口もきかなくなり卒業を迎えたんです。

私はクラスが変わっても彼女の家の2階の窓にボンゴォレを見つけていましたが本当に一言も話さず仕舞いでした。

特に彼女との物語の続きはありません。

ただ、大人になって猫の名前であり彼女と唱えた呪文の意味を知りました。

これまで、こんなことを思い返す訳でもなくボンゴレビアンコという食べ物をいつの間にか知っていて、ボンゴレをアサリと思っていましたが、改めて調べてみるとボンゴレは二枚貝のことで、ビアンコは白を意味するものでした。

この名前は凄い!と感動したという話だったんです。

ビアンコにボンゴレがくっついている猫だったわけで…理路整然とした猫の名前があったもんです。

4.7キロの綿毛『コロッケ』


あなたに初めてあった時、幼き日を撮った写真とは、ずいぶんと異なる姿をしていましたね。

半信半疑この猫かしら?と遠目から観察してしまい、どうも得体が知れない生き物のようでお店の方に声をかけられずにいました。

ただ、ペットショップに来た時点で連れて帰ることは決めていましたから7月10日生まれ、チンチラゴールデン・オスのあなた、間違いないでしょう。

こちらで情報を擦り合わせ、一緒に住もうと決めていた猫と確信が持てたと同時にお店の方が声をかけてくださいました。

唐突にこの猫買いますと言ってもお相手を不安にさせること必至ですから、素直にレクチャーを受けることにしたんです。

ステージから降ろされ、床のケージ3丁目住まいの猫。取り出してみると、それはそれは凄いもんでした。

バッタバッタと周囲を蹴散らし、店内を飛び回るのです。捕らえられては一言、二言、三言はなかなか難しい。

瞬間しおらしくするようで突如びっくり箱のようにビョーンと飛んでいくのです。時に猫は鷹のようでもありましたし、蛇のようでもありました。とにかく持てる力を振り絞って懸命に逃げるのです。

その最中、常に平静を装う人間たち。
私はなにやら笑いが込み上げていました。お店の方はこの猫は『普通』ですからね、という建前があるのか。こちら側もぜんぜん『普通』の猫ですね、とか言ってあげたいのか。

心の中では、このとんでもねぇ猫を連れ帰ったら家が滅茶苦茶になるだろうなと。そして、猫ってそういう生き物だよね、と妙に納得もしました。

 爪を切られていたって、猫の渾身のスマッシュは人間を傷つけます。お店の方の腕についた新鮮な傷がところどころに赤みを帯びてきました。そもそも指の5本に絆創膏を貼っていらっしゃいました。

白熱の試合が続きましたが、ラウンド6あたりで猫も疲れたのか私にとうとう抱えられてくれたんです。そこでアンゴラのように柔らかく、漬物石のようにズッシリとした猫だとわかりました。

勝手な思い込みかもしれませんが通過儀礼として触れ合えれば完結するんです。触れ合わずしての決断は根拠がないというか、触ったら根拠が生まれるというか、なんだかつまらないこと言いますけれどね。

もともと連れて帰るつもりでしたから、ようやく双方納得の行く形式で、この猫にしますと意思表明が出来たわけです。

それに対して、お店の方は本当ですか?と、つい本音が出てしまったのか二の矢に、なんとお優しい方、なんて言うんです。猫はもう決めたから、はやく傷口を洗って欲しいと思いました。

 猫を買い受けるにあたって説明事項を聴き決済をして、車へとキャリーケースを取りに行きました。

持ってきたキャリーはかまぼこのような形をしておりピンクと白の境目あたりにジッパーがついていて、かまくらのような入り口になっている仕様です。

先の如く暴れつつも再び商談テーブルに乗せられた猫はキャリーに収めるのもなかなか困難…というわけでもなく小さな箱に活路を見出したようで、すんなりと入っていき、おしりをくるりと転換させてこちらの様子を伺いじっとしました。

そこで我が家に迎えられるのを待って居たんだね、なんて幻想を抱くわけでもなく、ただ何かこわいものに怯え、注意を怠らない生き物を、煮込みうどんのようにぐでぐでにしてやりたいと思いました。

そして、この猫が住んでいた3丁目のケージには、むらさき色の鈴の鳴るおもちゃがひとつ。 

これでひとり遊んでいたんだろうかと横目で見ていても、あつかましいことは言えずに猫だけを携え車に向かいました。

少々小雨が降っており、お店の方とのお別れも手短に家への帰路を急ぐ道中。

猫のおもちゃについて声を発せられなかった自分に悔やまれる想いが拭えず、キャリーの上から猫を撫でるように手を動かしました。

早く家に帰ろう、猫。

自宅から少し離れた場所に駐車場がありました。小雨が降り止まず、傘もなく、猫はかまくらですから濡れるはずもなく。ですが私は猫の入ったキャリーに覆い被さるよう抱いて丁寧に運んだことを記憶しています。

powered by crayon(クレヨン)